名人と呼ばれる所以。関心から生まれる奇想天外なオモシロ人生。(前編)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

今回のサシモニのお相手は宮田さん。現在株式会社関心空間の社長である宮田さんですが、とっても素敵なオジサマです。カマコンバレーがキッカケで知り合った方なのですが、「全部ジブンゴト化」の権化といっても良いお方。30年前の学生時代の話や、ネット黎明期の話等々。知らない世界がメチャメチャあって面白い。自分が触れたことのない時代の話って面白いですよね。ぜひご一読ください!

IMG_0355

30年前の学生時代

-いきなりなのですが、知らない世界が気になる僕なわけです。宮田さんとは20歳くらい離れています。なので、昔の話なんて気になっちゃうところです。宮田さんの学生時代ってどんな時代だったのでしょうか。

「ボーリングが流行っていたかな。今ほど夜遊びするところはなかったよ。車持ってないとモテナイ時代だったね。」「上智大学で鉄道研究会を作って、旅と鉄道研究をする会を作ったんだけど、車の方がモテるから車に乗ることが多かったね。」

-鉄道好きだとは知っていましたが、サークルを作ったりもしていたんですね。まぁ、モテるためには車だったみたいですが(笑)サークルではどんな活動をしていたのでしょうか。

「夏は夜行列車に乗って北海道に行ったね。当時は20日間周遊のチケットで遊べたんだよ。バックパッカーの子たちって今はアジアに行くけど、当時はみんな北海道に行っていたね。」

-そうなんだ。いまバックパッカーで北海道に行くってなかなか聞かないですし、確かにみんな海外行きますもんね。色んなコストが下がっているからでしょうね。時代を感じるな。楽しそうな学生時代ですが、就職はどういったところにしたのでしょうか。

「シンクタンクに内定決まっていたけど恋愛にハマって留年したんだよね。失恋して残り6単位の取得を先生にお願いしに行けなかったんだ。」

-おぉ。それは人生を大きく変えた恋愛でしょうね。何もかも手がつかなくなるくらいの恋ができたってのも素敵な経験に聞こえます。

IMG_0354

新卒時代

-シンクタンクには入れなかったようですが、その後どのような企業に就職したのでしょうか。

「教科書会社に入ったよ。コンピューターを扱う仕事がしたくてね。コンピューターを教育に活かす部署に行ける予定だったんだけど、コンピューターを使わない教育ビデオ製作の部署に配属されたんだ。」「小学校や中学校にビデオ教材を作って納品していて、ビデオの台本を書いたりしたよ。映像制作の流れを学ぶことができて、今思うと貴重な経験ができたね。当時は思い描いていた仕事ができなくてやさぐれていたんだけどね(笑)」

-思ったような仕事ができないことって不満の原因になりがちですが、振り返ってみるとそのとき学んだことが後々活きることってありますよね。その場その場で全力で取り組むことが大事ですよね。その後はどうなったのでしょうか。

「コンピューターを扱う部門に異動することができて、当時最先端だったMSXとか88を学校に導入したり、親が子どもに勉強を教えるソフトを開発していたよ。そんな頃にファミコンが流行りだした。」「当時ファミコンをやることに対して批判的な風潮があったから、任天堂から教科書会社が出すゲームを開発して欲しいと依頼があったんだ。それでゲームディレクターをやったね。」

-えっ!また大きな転換ですね。いきなりゲーム開発ですか。僕はファミコンが出来た年に生まれたのですが、やはり熟練の方の話は面白い。この話は気になるところです!!

IMG_0299

宮田名人誕生

-ゲームディレクターの仕事を始めたとのことですが、具体的にはどのようなゲームを開発したのでしょうか。

「最初に手がけたのは「いきなりミュージシャン」というソフト。即興で音楽演奏できるソフトだね。ループミュージックを選べて、自分で音楽を作ることが誰にでも出来るソフトだよ。」「このソフトを使ったコンテストを開いて200人くらいの人がカセットテープに音を入れて送ってきたね。子供から大人まで色んな人が自分の作った音楽を送ってきたんだよ。」

-おぉ。今みんながパソコンでやっているようなことを、ゲームで実現させていたわけですね。凄いな。その発想は当時かなり早かったんでしょうね。他にもゲームを開発したのでしょうか。

「普通のゲームも開発するようになって5年間ゲームディレクターをやっていたね。昔テレビ東京でファミコンのソフトを紹介する番組があって、宮田名人として戦闘服姿と白衣姿で2回テレビにも出たことがあるよ。実際にゲームをプレイして紹介していたんだよね。」

-すごーーーーーい!あの番組は僕等世代の子どもだったら絶対に一度は見たことがあるやつですよ。最近カマコンの中で「宮田名人」という愛称がついているのですが、本気で宮田名人やっていたわけです。当時のゲーム開発の環境はどんな感じだったのでしょうか。

「RPGというジャンルが生まれて、データベースを構築する仕事が生まれてきたんだよね。そこからコンピューターの概念を入れるようになっていったよ。初めてプログラマーやデザイナーと仕事として付き合うようになったのもこの頃だね。」

-面白いですね。今でもゲームって批判されがちなところがありますが、ゲームを通じて技術開発が行われて、さまざまな業界や業種に一般化されて広がっていくことがままあるのだと思います。

IMG_0301

MACの衝撃

-当時のコンピューター業界ってホントはしりの時期だと思うのですが、印象的だったことはありましたか。

「MACが出てきたときは、コンピューターはMACしかないと思うくらい衝撃的だったね。会社を説得してMACを導入してもらったことを覚えているよ。」「エジュテイメントという言葉が流行りだして、絵本の世界をパソコンで歩くようなソフトを作ったり、マルチメディアの分野がドンドン進歩していったね。マックの登場で未来が近くなった感じがあった。CD-ROMがついて、白黒がカラーになって、ドンドン進化していった。」

-そうなのか。MACの衝撃ってそんなに凄かったんですね。現代でいうとなんでしょうかね。僕的にはpepper等を見て家庭にロボットが入る可能性で、結構衝撃を受けています。他にも衝撃を受けたことって、どのようなものがあるのでしょうか。

「アニメーションや音声が楽しく扱えるようになったよね。その影響でゲームの世界よりもコンピューターの世界に未来を感じるようになったよ。」「子猫の写真集DVDを作ったりする中で、よりMACとマルチメディアに未来を感じて、マルチメディアをやっている会社に転職したんだよね。」

-未来を感じて転職する。その前向きな感じって素敵ですねぇ。僕も未来を感じる世界で活躍していきたいものです。そして、流石宮田名人。ストーリーがメチャメチャ豊富です。ということで、続きは後編でご紹介します。大物芸能人との交流や、人生の浮き沈み等々。この後も宮田名人にまつわる話はかなり面白いので、楽しみにお待ちくださいね!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加