名人と呼ばれる所以。関心から生まれる奇想天外なオモシロ人生。(後編)

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前編ではコンピューターに未来を感じて転職する話まででした。ここから宮田さんの人生はさらに激変していきます。ホント人に歴史ありです。では早速後編にいってみましょう!

前編はこちらからhttp://sashimoni.com/?p=287

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音楽業界への転身

-転職した先ではどのような仕事をしていたのでしょうか。

「音楽業界の仕事だね。ユーミンの全曲をMACで好きに聞けるCDを開発したよ。MACを購入すると同梱でCD-ROMが10枚入っている時代でさ。スポーツだったらJリーグのゴール全集が見られるようなDVDをドンドン作っていたよ。3年いたけど5、6人の会社が20人くらいまで一気に成長したね。」

-「PC買ってCD-ROMが付いてくるなんて、いつの時代のことなんだ。」なんて思ったりしますが、こういう話を先輩から聞けるのもサシモニの面白いところです。印象に残っている仕事はどんなものがありますか。

「森高千里の渡良瀬橋のCD-ROMを作ったのは渾身の仕事だったね。さまざまなシーンの森高が見ることができる作品。森高千里は楽器が出来るからジンジンジングルベルの曲では、全ての楽器を森高千里が演奏しているバージョンも作ったよ。インタビューも自分で森高千里にしたね。」

-なんて羨ましいことやら!!今でも綺麗な方ですが、当時人気の絶頂で可愛かっただろうな。流石名人です。

「森高千里は忙しかったから、CD-ROMに関する取材は全て自分で受けていたよ。それで天狗になってライバル会社に転職したよ。当時はマルチメディア会社にVCが投資する時代でさ。転職した会社が投資を受けたらギクシャクし始めて、ドンドンダメになってね。鉄道のCD-ROMを作っていたんだけど、それも上手くいかなくなって、結局先輩が作った受託系の会社に再度転職したんだ。」

-人生って分からないものですね。実力が認められて転職したら、いった先の会社がダメになってしまう。当時持てはやされていた身としては、なかなか予想できないことでしょうね。ホント人生分からないものです。

WEBとの出逢い

-また新たな職場に移ったわけですが、どのような仕事をしていたのでしょうか。

「最初はCD-ROMを開発していたけど、だんだんWEBの方向に移っていったね。開発や製作をしていたけど、WEBの受託で仕事が出来るようになるのかどうか半信半疑の時代だったよ。」

-今ではWEBの受託開発って普通にある仕事ですが、黎明期の頃ってホント分からないものなんですね。ある意味、その流れを感じられて突っ込むことができる才能を持った人がWEB業界でのし上がっていったんでしょう。宮田名人が楽しかった仕事はどんなものなのでしょうか。

「2000年頃に佐野元春さんと知り合ってね。WEBマスターをやってくれと言われてWEBページを作るようになったんだ。その関係が今でも続いていて、変わらずWEBを作らせてもらっているよ。」「他にもEPOさんのWEB製作をやらせてもらったり、ドンドン新しいことができるようになったね。」

-音楽のソフトをゲームで作るところから始まって、また音楽に絡む仕事が出てきたんですね。これは宮田名人に何かある気がするぞ!

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音楽好きのネクラ

-音楽がらみの仕事が多い宮田名人ですが、元々音楽が好きだったりするのでしょうか。

「根源的に音楽に携わる分野が好きだね。シンセサイザーの音楽に触れたのが中2のとき。38年前だけど衝撃を受けたね。シンセサイザーを手にしたのは18歳の頃かな。」「本当の自分は引篭りでネクラなんじゃないかと思うよ。それほど、シンセサイザーを使って1人で音楽が出来てしまうことに魅力を感じたからさ。」

-そうなのか。なんかさっきから話を聞いていると、MACもそうだし、シンセサイザーもそうだけど、新たな可能性が拓けるものに魅力を感じる方なんですね。

「今の会社の関心空間に出逢ったのが2001年。関心空間を作ったから触ってみてと友達に言われたのがキッカケ。当時はブログもSNSもない時代。インターネットに触れて満たされていない部分を満たしてくれるのが関心空間だと思ったよ。投資を受けて大きくする話になっていたので、そのタイミングでジョインすることになった。関心空間では事業企画と営業を担当したり、運営事務局長も兼務していたね。」

-関心空間は色んな人の興味があるものを軸にコミュニティが出来るようなサービスです。10年以上前、僕はそんなにWEBの世界を知りませんでしたが、関心空間は知っていました。それだけ当時世の中に広がったサービスなんです。その後関心空間はどうなったのでしょうか。

「VCから出資を受けたのが2006年くらいだけど、当時出資を受けた2億円くらいを使いきっちゃったんだよね。サーバーを増強するためにお金を使うつもりでいたら、お金が入るタイミングが遅れてサーバーが重くて遅くなり、人が離れていってしまった。」「未踏の地で関心空間を作れる天才はいたけど、事業化の天才はいなかったんだよね。それが世の中に定着できなかった原因かな。」

-なるほど。ホントちょっとのズレで先がどうなるかなんて分からないものですね。イケると踏んでいて、ダメだったときほどショックも大きかったんだろうな。

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これからの時代

-そんな宮田名人ですが最近会社名を改に「株式会社関心空間」にして、再度今の時代に関心空間で打って出るようですが、どのようなビジョンを描いているのでしょうか。

「ニッチなものの集まりが関心空間。世の中にあるべきものと思っている。だから、スマホの時代に出来ることをやるよ。」「反省を活かそうと思っているのは、作ることが根源的に好きなんだよね。そうすると人に期待する。人を増やしがちになる。仲間が多い方が良いものが出来そうと思う。でも、最少人数で先にやりたいことを黒字化できるのが良いかなと考えているよ。スタートアップで上手くやっているところはそうしているからさ。」

-楽しみですねぇ。一度落ち込んだサイトが復活するような話はあまり聞いたことがないので、是非宮田名人に実現してもらいたいです。他にもやりたいことってあるのでしょうか。

「収入を気にせずにカマコンバレーで遊びたいかな。どうやって食べているんですかと言われるようになったりね。」「カマコンバレーの面白さはプロジェクトが純粋なところにあるよね。儲ける、儲けないよりも、コトを成すといったピュアなモチベーションの活動だから。そういったものは好きだよ。」

-確かに宮田名人の各プロジェクトへのコミット力は半端ないですからね。宮田名人だからこそアドバイス出来るようなことってどんなことがあるのでしょうか。

「2億溶かした経験があるからね。つまり、成功体験と失敗体験がある。それを活かして色々できたら良いよね。」

-人生の酸いも甘いも理解している宮田名人。懐の深さをメチャメチャ感じるお方なのですが、色んなストーリーを経験された話を聞いて、その理由が少し分かった気がします。宮田名人、そして関心空間の今後がメチャクチャ楽しみです!!

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僕はこう思った

宮田名人。本当に素敵な人なんです。とっても優しい方だし、僕が生意気な態度をとっていても、優しく受け入れてくれるような方。(腹の底ではどう思っているか分かりませんが 笑)そんな宮田名人の新たなステージ。僕以外にも宮田名人の近くにいる人はみんなが応援していると思います。ホント素直にそう思います。でも、それって人徳というか、その人自身の魅力なんですよね。もちろん普段から色々とコミットして様々な場面で活躍しているからということもあると思います。でも、それ以上にきっと多くの人が宮田名人のことが好きだし、できることがあれば力になりたいと思うのではないかと感じました。仲間を作れる人って素敵ですよね。今後の宮田名人。そして、関心空間がメチャメチャ楽しみです!!

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