電波少年Tプロデューサーに新人時代の赤裸々話からヒット企画を生み出す秘訣を聞いてみた!

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今回のサシモニのお相手は一斉を風靡したテレビ番組「電波少年」のTプロデューサーとしても有名な土屋敏男さん。僕ら世代は電波少年を見ていて、とんでもない大人がいるもんだと思ったあの人です。縁あって今昔写真というプロジェクトを一緒に進めさせてもらっており、仲良くさせてもらっています。そんな土屋さんにこれからのコンテンツの未来や、今取り組んでいること。そして若かりし時代のテレビ業界の話等々。珠玉のコンテンツをお伺いしました。これはもう魅力を語るのが野暮ってものです。ぜひ一人でも多くの方にお読みいただければ嬉しいです!!

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マラソンのきっかけ

――土屋さんとはFacebookでも繋がっていますが、最近ランニングに関する投稿が多いですよね。先日東京マラソンも完走されたようですが、どうして走ることになったのでしょうか。

寛平さんのアースマラソンでアメマのおじさんと呼ばれていたおじさんがよく応援に来てくれていたんです。ベトナム戦争で片足を失っている傷痍軍人だけど、寛平さんを見て自らも走りたいと思って、トレーニングして10Km走れるようになった。その人から「いつか一緒に大会出ようね」と誘われたのがキッカケ。

――なるほど。アメマのおっちゃんキッカケなんですね。では、いつかアメマのおっちゃんと一緒に走るわけですね。

アメリカの大会に出ようと思っていますよ。アメマのおっちゃんは65歳で走り始めたから自分がやらないわけにもいかないしね。

――楽しみなチャレンジですね。土屋さんは現在58歳とのことですが、その年齢から走り始めるのも大変そうですよね。

20代で走ることと50代で走ることは違うんじゃないかな。年齢を重ねると、それまでの経験があるから、あまり努力をしないでやることが多い。だけど、マラソンは努力しないとできない。努力しないとできないことって面白いよ。

――努力しないとできないことだから面白いか。含蓄あるなぁ。

50代でやっているから面白いんだと思う。最近、師匠の欽ちゃんにマラソンに挑戦している話をしにいこうと思ったら、欽ちゃんは大学受験していた。欽ちゃんってことを明かさずに70歳越えて大学受験だからね。

――土屋さんが努力している以上に、師匠が努力しているわけですか。凄いなぁ。欽ちゃんも土屋さんも。面白い関係ですわ。

今昔写真

――僕が今土屋さんと一緒にやっているプロジェクトは今昔写真というアプリを制作していて、今昔写真に関連するイベントも開催予定です。今昔写真アプリは、今と昔の写真を簡単にスライドして見比べることができて、かつ写真にまつわるストーリーを読むことができるアプリになっています。土屋さんはどうして始めようと思ったのでしょうか。

今日テレの関連会社のLIFE VIDEOという会社をやっていて昔の写真とかにも携わるようになったんです。その中に、ある商店街の昔の写真があったんだよね。生まれた時からシャッター商店街の子どもでも、当時の活気があった町の写真を見たら、その町が好きになったりするのではないかと思ったことがあったんだよ。

――なるほど。確かに自分が生まれ育っている場所が、昔は活気のある場所だったって知るだけで明るいイメージを持つこともできそうですね。

その後に、鎌倉の由比ヶ浜商店街で昔の写真を展示するイベントをやっていて、鎌倉にも同じようなシチュエーションがあることが分かった。そんなときに、カマコンバレーに誘われて鎌倉でITの力と連動できたことで、今のアプリが生まれることになりました。

――カマコンバレーとは「この街を愛する人をITの力で全力支援」を掲げて鎌倉で活動している団体です。僕はそこで土屋さんの今昔写真のプレゼンを聞いて、面白いなと感じて一緒にプロジェクトをやるようになりました。それにしても、そんな流れがあったのですね。今昔写真の鎌倉版は今月にもリリース予定ですが、実際にやってみてどうですか。

今昔写真はみんなイイねと言ってくれるね。写真を集めるのは大変だけど、そう簡単にみんながホイホイ言って協力してくれても面白くない。イベントやアプリを通じて写真を集める今までにない方法で集めているから、後々ドンドンと集まってくるんじゃないかな。

――ホイホイ集まってきたら面白くないか。なにかしらハードルがある方が楽しめるんですね。なんか土屋さんらしくて素敵です。ちなみに、土屋さんの会社であるLIFE VIDEOでは高齢の方の想い出を映像に残しているんですよね。どうしてそんなことを始めたんですか。

義理の親父が死んだときに、葬式の場で働いていたときの話を教えてくれた方がいたんだけど、自分は聞いたことがなかった話だし、聞いておけば良かったなと思いました。男は家庭に戻ると仕事の話はほとんどしないから知らないんですよね。

――確かに僕自身も親父に仕事の話を聞いたことがほとんどありませんね。

こういった話をビデオに残すことが出来ないかと思って、LIFE VIDEOという会社を作りました。個人の記憶を残すことをLIFE VIDEOがやって、町の記憶を残すのは今昔写真でやっていきたいね。

――なんか素敵な話ですね。電波少年の中でダース・ベイダーのテーマソングに乗って恐ろしいイメージしかなかったTプロデューサーと大違いです(笑)

インターネットとテレビ

――土屋さんは長年テレビ業界で働かれているわけですが、何年も前からインターネットがテレビに及ぼす影響について様々な話があります。土屋さんはどのようにお考えなのでしょうか。

インターネットが出てきて、革命が起きている。革命が起きると変化が起きてほしくない勢力が出てくる。自分は少しでも早く起きる方向で考えていますよ。

――間違いなく大きな変化が今まで以上に起きるはずですよね。土屋さんはそういった変化が起きてほしくない人達に対してどのように考えているんですか。

変化に対応できなかったり、今までやらなかったことを変えたくない人。自分の発言力を変えたくないといった人はいる。だけど、それが面白い。昔はそういった人達に対して腹が立ったし、もっと強引にやっていた。それが若さだったのかもしれない。だけど、成るべきときに成るだろうと思うようになったね。その時期を待とうと。

――なんか、もう達観した人の発言のようですね。いつからそのように考えるようになったのでしょうか。

すごく嫌なことに立ち向かったりするには、エネルギーがいる。電波少年をやっていたときは、「こんなことやっていいと思っているのか!」と上司に言われたら「じゃあ今週で辞めましょう」とタンカ切ってた(笑)

――それ凄いな。もう自分の思っていることをそのままぶち抜いていたわけですね。そうするとどんな反応が返ってくるのでしょうか。

あいつに怒っても仕方ないなという風になっていったね。そんなこんなで電波少年を10年半守れたのは面白かったな。今までにないテレビを自分で作ってみたかったし、周りの人にそう思わせてみたかった。入社して12,3年くらいすると、やるべきことやテレビの流れ、歴史がわかる。そうするとやっていないことも分かるようになるんだよね。

――確かに仕事って長年やるとその中の常識が分かるようになりますよね。その中で今までにない世界を作られた話はとても興味があります。番組制作の話を深堀りしますよ!

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オフェンスしかやらない

――多くの人に新しいことをやってみたい気持ちがあると思うのですが、なかなかできない人も多いです。土屋さんは新しいことに取り組むことに関して、何かキッカケのようなものがあったのでしょうか。

24,5歳のときに、ある放送作家に「もうテレビで新しいものなんて生まれない。」と言われたことがあるんだよ。これから30年は業界にいるはずなのに、もう新しいものが生まれない場所にいつづけることなんてありえないと思ったね。それから新しいものを生み出そうと考え続けて、電波少年ができるまで10年かかったかな。

――それは結構ショッキングな話ですね。未来に夢見ている若者に言い放つ言葉ではないと思います(笑)実際にどのようにして新たなものを体現したのでしょうか。

今ある常識を疑ってみることが大事。テレビカメラを回すときには、きちんと挨拶してから始めるみたいなことを止めてみる。だから、電波少年ではアポなしで色々やっていたね。

――確かに電波少年ってアポなし企画メチャメチャ多かった気がしますね。でも、どうすれば実際にそういったことを発想できるようになるんですかね。

バカかバカじゃないかの違いじゃないかな。世の中は仕組みで出来ているし、会社も仕組みで出来ている。昨日と同じ今日をやっているのが一番楽。そのほうが頭良いよね。そんな世界を壊そうとすれば、軋轢も生まれる。ゼロから生まれる作品を作るやつはバカなんじゃないかな。

――確かに自ら何かを変えずに生活している方が圧倒的に楽ですよね。誰かに妬まれたりすることもないだろうし。

バカでありたいとか、新しいことをやりたいと思っている部分はみんなあると思う。ただ、新たな何かが持ち込まれたときに、自分が10年以上やってきたことを組み替えようとすると、阻止する自分が生まれてしまう。新たに組み替えるのは面倒くさいことだし、今の世の中が既にできているんだからね。

――誰だってそういう部分は持ちあわせていますよね。でも一歩勇気が出ない。そんなとこなんだと思います。土屋さんはその点に関して意識していることがあるのでしょうか。

次の時代はなんだろうとか、これからの未来に向けて今までのやり方で良いのかどうかと考えたときに、オフェンスとディフェンスの立場を取れる。自分はオフェンスしかやらないと決めています。

――オフェンスしかやらないか。それは大変かもしれないけど、分かりやすい決めですね。

面倒くさいからやるのをやめようと思ったときには、「自分はオフェンス側だ」と思い返す。この年齢までくると大した叱咤激励をしなくても、自分の性格だと思ってやるしかない道を選んでいる感覚だけどね。

――決めでやったことが、自分の性格にまで腑に落ちている感覚って良いですね。でも、オフェンスであり続けることの大変さもあるんじゃないですか。

もちろん抵抗してきたり、リスクをあげつらう人はやっぱり出てくる。ただ、そういう人達にも応援しようと思ってくれる気持ちが出てくるときがあるって分かってからは気にしなくなったかな。

――長年の経験からくる話だな。面白すぎ。自分の軸をぶらさないって、きっとこういうことを言うんでしょうね。

テレビマンを目指す

――テレビ業界の中でも有名人の土屋さんだとは思うのですが、そもそもどうしてテレビ業界を目指そうと思ったのでしょうか。

大学生のときの学園祭で自分が企画したイベントをやったんだよね。学園祭ってJAZZのコンサートをやると近隣のJAZZファンが集まってくる。それは学生のためにやっていない。だから、学生のための学生による企画をやりたかった。

――それは良い発想ですね。具体的にどんなことをやったのでしょうか。

クラブ対抗歌合戦。それぞれのクラブに伝わるエロ歌みたいなのがあったんだよね。代々伝わるエロ歌。それで門外不出のクラブの歌を披露してもらった。学生だけしか集まらないけどね。

――その企画聞いているだけで面白そうですけどね。実際にやってみてどうだったんですか。

スタッフとして走り回りながら人が笑ってくれている姿をみた瞬間に、これは良いなと思った。人を楽しませることを職業にしようと決めた。それで、周りの世界をみたときに実現できるのはテレビ業界だなと思った。

――なるほど。確かに人を笑わせて楽しませる世界で、多くの人に影響を与えるメディアって今でもテレビが一番ですもんね。実際にテレビ業界に入ってみてどうだったんですか。

番組を制作する部署に入りたかったけど、編成という繋ぎ目のセクションに入ることになった。番組を作って売っていく世界を知れたね。ただ、自分自身は番組を作る側でいたかったけど、なかなかできない。それで会社に話しをしながら、週に1本の企画を3年間続けた。合計150本。そこまでやったことで会社も認めてくれて制作サイドにいけたよ。

――凄いな。毎週欠かさずに企画を考え続ける。それが3年間もできるなんて。そこまでやる人がいたら、会社も認めざる負えないですよね。制作ではどのような仕事ができたのでしょうか。

やりたかったのはバラエティだったんだよね。アメリカ横断ウルトラクイズをやりたかった。だけど、ワイドショーにいくことになってね。芸能人がくっついた別れた云々の話。当時は三浦さんのロス疑惑が取り上げられていて、家の前で張り込んだりして、自分は一体何をやっているんだろうとも思ったよ。

――学園祭で楽しませる喜びに目覚めてテレビの世界に入ったのに、ワイドショーを作ることになるなんて思い描いていた世界とかなりギャップがありますもんね。

このときにアポなしで張り込みをしていたのが、後々35歳でやる電波少年に活きたんだけどね。電波少年はワイドショーの手法をバラエティに持ち込んだわけ。松村が突撃で話を聞きに行くような企画ってワイドショーの手法だからね。

――あぁ!!確かに!!電波少年っていきなり偉い人にアポなしで話を聞きに行く企画とかよくやっていましたもんね。土屋さんのワイドショーの現場にいた経験が活かされていたのか。寄り道しているようでも、自分次第であとから意義あることになるものですね。

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パクってすべる

――ワイドショーの制作現場の後は、どのような現場にいったのでしょうか。

3年間ワイドショーをやって日曜日20時に枠ができたので、元気が出るテレビに携わるようになった。テリー伊藤さんという気違いにあって、色んな学びがあったよ。テレビ番組を作るにはここまで全人生をかけるんだなと思ったね。

――そうなんだ。テレビが一番元気があったと言われている時代ですもんね。

2年半くらい元気が出るテレビをやって、一本立ちだと言われて当時他局で風雲たけし城が同じ時間に流行っていたので、同じものをパクって作れと言われて、番組を任されて作ったら視聴率1.4%だった。大失敗。その後にねるとん紅鯨団もパクれと言われて作ったら、それもコケた。

――えぇ。意外。一本立ちして作った番組はどれもこれも失敗していたんですね。

パクって滑るを繰り返してね。そんなときに番組に1つ穴が空いたから、明日までに何でも良いから企画書持ってこいと言われて。パクる企画だけは絶対にやめようと思った。今までにない見たことのないテレビをやろうと。

――今までは会社に言われたのを作っていて、あげく結果が出なかったわけですもんね。そのチャンスは興奮したんだろうな。

初めて自由にやれる企画でやったのが、ワイドショーのアポなしをバラエティに持ってくる企画。これが初期の電波少年。当初3ヶ月の企画だったのが10年半続いたね。予定調和のない今までにない番組ができた。「◯◯したい」という企画で、結局できずに終わったりするのをそのまま流していたからね。

――電波少年って確かに自由度高い企画で、終わりがどうなるか分からないのが魅力でしたもんね。猿岩石のヒッチハイクを始め数多くの企画がありましたが、その中でも土屋さんが好きな企画ってなんですか。

放送後に電話で文句を言ってくる人が結構いるんだよね。家で酒飲んでいて、「くだらないことをやっているんじゃない。」とお叱りの電話をうける。こっちはくだらないことを目指しているのに。

――毎回そんな電話がかかってきていたら大変ですね。

クレーム電話のやりとりを繰り返していて、これは納得いかないと思って企画にした。松村にクレームの電話を取らせて電話口で謝らせる。その時に電話をかけてきた人の名前と住所を聞いて、アポ無しでそのまま電話をかけてきた人の家まで行ったの。松村が「先程お怒りだったので直接謝罪に参りました。」と言いながら玄関先で土下座しているんだよ。帰ってくれと言われても「お怒りの気持ちがおさまるまで土下座しております。」なんて言いながら。その一部始終を放送してから抗議電話がかからなくなってきたね。

――自分が同じことされたら誰だって嫌だから、電話できなくなりますもんね(笑)それは痛快だなぁ。と、ここまででも盛り沢山な内容となっていますが、まだまだ土屋さんの魅力溢れる話は続きます。続きは後編でお楽しみください!

後編はこちら

電波少年Tプロデューサーが自由な発想ができる理由や、テレビ業界の未来について聞いてみた!

今昔写真クラウドファンディングサイト

現在今昔写真プロジェクトではクラウドファンディングサイトで資金集めをしております。ぜひ、ご協力いただけると幸いです!※3月29日までの募集となっています!!

http://iikuni-kamakura.jp/pj/IknJ8254571

今昔写真HP

今昔写真のHPです。実際に今昔写真がどのように動いているのかも確認できるWEBサイトになっていますので、ぜひご覧ください!また、29日のイベントには土屋さんも参加してトークセッション等を行いますので、ぜひ遊びにきてください!

http://kamakura.konjyac.com/

LIFE VIDEO

土屋さんが代表を勤めるLIFE VIDEO社のHPです。素敵な映像を残したい方はぜひご覧ください。

http://www.lifevideo.jp/

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